支援物資であるトタン屋根を配布した時の様子

2015年4月25日昼、地震発生時、私は任地シンズリ郡の自宅にいました。(シンズリ郡はカトマンズから南東に150キロ離れた自然豊かな郡です。)その日はお祈りの日で大家の親戚の方たちが多く自宅に集まっていました。お祈りの最中に地震は発生しました。レンガを重ね、セメントで覆っただけの耐震性のない家は、大きな地震の揺れを全て受けているかのようにゆさゆさと大きく揺れ続けました。「天井、壁、階段と全てセメントで作られたこの家の一体どこに逃れば安全なのか。」判断もできず、パニックに陥った家族たちと、ただ手と手を取り合って、神に祈りを捧げ続けました。大きな揺れの中でヒンドゥー教の神々の名を叫び続けるお母さんの声は今でも耳に焼き付いています。その日から余震が続く長くて辛い日々が始まりました。

ネパールに同じような大震災が発生したのは80年前のこと。今回の大地震は今のネパール人が体験したことのない未曾有のものでした。地震発生直後から停電になり、電話線の混乱から電話もつながりにくく、情報は大変限られたものになりました。2日後、電気が通いテレビから伝えられたカトマンズ周辺の悲惨な光景にネパール人たちと共に息をのみました。情報量が増えるにつれて人々の恐怖感も増していったように思います。「部屋の中にいたら瓦礫に埋もれて死んでしまう。」とバザールの人々も屋内で暮らすのをやめました。広いグラウンド、公園、バザールの店先にはビニールシートや毛布を持ち寄り、野宿をする人たちで溢れました。

不安の渦の中、人々の間では地震の予言や根も葉もないうわさ話が飛び交い、それがまた不安をあおっていきました。「今日の12時に再び大きな地震が起こる。地面はひび割れ、私たちは生き残ることはできない。」「今日は月がさかさまだ。明日、私たちの地球は滅びる。」時計を見つめ、迫る地震予告時間を息をのんで待ち受ける人々、月を見て恐怖に陥る人々、真夜中でも小さな揺れに反応し、走り出す人々。地震に関する正しい知識のないネパールの人々は、ありえないようなうわさ話も全て鵜呑みにしてしまい、混乱を起こす毎日が続きました。私が出来ることは「地震の予言は出来ないこと」「月は満ち欠けをすること」「ありえないうわさ話だ」と声をかけ安心させることだけでした。

支援物資であるトタン屋根を配布した時の様子

▲支援物資であるトタン屋根を配布した時の様子

支援物資であるトタン屋根を配布した時の様子

▲支援物資であるトタン屋根を配布した時の様子

地震発生から数日後、村への巡回を始めました。村の状況は、もっと深刻でした。石と土だけで積み上げただけの村の家への被害は大きく、集落によってはほぼ全壊という壊滅的な状況でした。政府からの支援物資の配布が遅れる中で、人々は持ち合わせのビニールシートや竹を使って、自作の簡易テントを作り、そこに寝泊り続けていました。巡回している私の腕を次々に引っ張っては自宅の被災状況を見せ、嘆き続けました。「家を失った。」「収入源のヤギ・鶏が死んでしまった。」「大切な備蓄のトウモロコシやコメが瓦礫の下に埋もれてしまった。」聞いているだけで息がつまりそうになる苦痛の声。私はただただ聞き続けました。「私には私に出来ることを始めよう。村人が復興に向けて前進するために全力でサポートしよう。」と心に決めました。

そこで取り組んだのが(1)郡開発委員会(日本でいう県庁のような政府機関)に村の壊滅的な状況を伝え、緊急の援助が必要なことを伝えること、(2)日本で募金活動に当たってくれている友人達に村の状況を発信し続けること、(3)村を巡回し、村人の声を拾い続けること、(4)コミュニティの会議に出席し、地震に関する知識や情報を届けることです。

地震発生から1-2週間後、テント生活を続ける子どもやお年寄りに腹痛や風邪、発熱等の体調不良が目立ち始めました。そんな時に2度目の大きな余震が発生したのです。少しずつ落ち着き始めた中でのショックな出来事。半壊にとどまっていた家も大きく崩壊するほどの大きな余震に、それまで気丈に振舞っていたお母さんにも体調不良が目立つようになりました。

頭痛、吐き気、倦怠感。初めの地震発生から常に緊張の中で暮らしてきた村人たちの心も体も疲れきっていきました。「待っていてね。政府から支援が届きますよ。私の日本の友人から支援が届きますよ。」と、遠く日本からも多くの人たちが私達のことを応援していることを伝え続けました。勇気づける事がその時に必要な事だったのです。

そして政府から各世帯へ支援物資が配布されました。日本から届いた温かい方々のご支援により、仮設テント建設に使用する為のトタンを2村、67世帯に配布することも出来ました。沈んだ心に光をさすことが出来たこと、遠く離れた人々も皆、応援しているという事を伝えられたことは、活動を続けて本当に良かったことです。

復興は始まったばかりです。耐震性のある家屋の建設のサポート、防災教育の実施等、今後も支援は必要です。タフなネパール人の強さを信じながらも、そんなタフさに過信しすぎずに、彼らの前進をこれからもサポートしていきたいと思います。

国際協力ニュースVol.111掲載(2015年8月発行)

【筆者】 救仁郷香 (くにごうかおり)
青年海外協力隊平成25年3次隊

救仁郷香(くにごうかおり) 鹿児島県出身。2008年北九州市立大学国際関係学科卒業。海運会社で5年半の社会人経験を積んだ後、学生時代から夢に見ていた青年海外協力隊平成25年3次隊として参加。現在ネパールのシンズリ郡にて生活改良普及員として活動中。FUNN主催「2012年度国際キャリアデザイン研修」修了。
筆者のくにごうかおりさん