補習クラスの子どもたちと

初めてのインド

インド第5番目の都市チェンナイから夜行列車で揺られること7時間。南インドに位置するタミルナードゥ州ディンディグル県は広大な土地の広がる地域である。
私は女性支援の現状・現地の人の暮らしを知るために南インドを訪れた。インドを選んだのは、カースト制度や多くの宗教が混在する社会で、「女性」という社会的弱者がどのような生活を送っているのか気になったからだ。

ユニークな支援をすることの意味

日本のNGOのスタディーツアーを通して知った現地NGO、SALT( Stanley Arms of Love Trust)で1週間ほど現地を視察する機会を得た。SALTは“We can’t change the world, but we can change Someone’s world”を理念に、女性の自立支援、子どもの教育支援を行っている。

ソルトによる学習支援を受ける子どもたちと筆者

▲ソルトによる学習支援を受ける子どもたちと筆者

SALTの代表スタンレーのモットーは「ユニークであること」だ。南インドは北インドに比べ治安も良いため、NGOも数多く存在する。その中で、支援の手が届いていないところを支援するために、さらに言えば海外からのファンドを集めるためにも、他と差別化を図ることは必須となるのである。そこで彼は「寡婦(かふ・未亡人)」「夕方の補習クラス」に焦点を当て女性と子どもの支援を行っている。

ここでは特に寡婦支援について取り上げたい。

女性の人権

女性に対する制約はヒンドゥー教の経典であるマヌ法典に記されている。インド全土では、サティという夫の死後に妻が殉死する慣習があり、サティを行った女性は称賛すべき存在として見られてきた。

ソルトの融資を受けている女性たち

▲ソルトの融資を受けている女性たち

寡婦の家

▲寡婦の家

現在では法律によって禁止されているものの、夫が亡くなると寡婦は「unluckyな人」として扱われ、髪につける花飾りや額につける赤いビンディなどのアクセサリーをはずすことを強要される。通常女性は夫の村に嫁ぐ慣習があり、夫の死後はunluckyだからという理由でその村から追い出されることが多い。夫の家族からの支援はなくなり、出身地である村に帰ることも基本的には許されていない。つまり、金銭的にも社会的にも生きることが難しくなるのである。

滞在中、SALTの取り組みのロールモデルである寡婦を訪ねた。彼女は2年前に夫を亡くし、現在2人の子どもと暮らしている。夫の死後半年が経ってから、SALTの実施する縫製技能訓練4ヶ月、ビジネストレーニング2ヶ月の合計半年間のトレーニングを受けた。一般にNGOによる女性支援は、縫製技能訓練などのスキルトレーニングのみで終わるものが多いが、SALTではビジネストレーニングを行うことで女性が仕事を見つけるところまで支援している。

スキルトレーニングの終了後、SALTから5000ルピー(約8500円)のローンを受けて、サリーを販売するビジネスを始めた。彼女のビジネスは、サリーの委託販売、輸出用キャンドルの委託製作、チャパティ販売(チャパティはインドの主食の一つ)の三つである。ビジネス開始当初は何人かの友人が同情して買ってくれたが、現在ではその周囲の人々にまで顧客層は広がっているという。

ビジネス開始前と後では、周囲の彼女に対する態度は大きく変わった。以前は、村から出ていくよう言われていたが、現在では村人は皆彼女を同情と尊敬の目で見ている。寡婦が自ら生計を立て、子ども2人を学校に通わせることができている。このことは彼女だけでなく、村の女性たちにも希望を与えている。はじめに述べたように、インドでは寡婦がコミュニティのなかで生きることは非常に難しいからである。『弱い立場』と言われている寡婦が自らの手で生きる力をつかんでいるのだ。

身近な人の生活を改善する手助け

女性や子どもを取り巻く環境が変わりつつあるのは、彼ら彼女ら自身の努力はもちろん、NGOの地道な努力があるからである。SALTが支援をする際は、スタッフが村に入り住人達と話し合い、ニーズを聞き出して解決策を一緒に考える。

代表のスタンレーは、適当な人というのが私の最初の印象だった。インド人は時間なんて守らないし、約束も半分は忘れるように感じたからだ。しかし、一歩支援する女性たちの暮らす村に入れば、皆彼に声をかけてくる。子どもたちは、次から次へと彼の周りに集まってくる。『待ってたよ!』

問題解決のために本気で取り組み、信頼される。
“We can’t change the world, but we can change Someone’s world”

村に住む彼らの世界は確実に変わりつつあると実感した。

国際協力ニュースVol.102掲載 (2013年10月発行)

【筆者】 大水希望(おおみず・のぞみ)
佐賀大学
FUNNインターン(当時)

筆者のおおみずのぞみさん